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そして雌になる 後編

ゆうきは桜のマンションの前に立っていた。
鉛を飲み込んだような苦味が口の中に広がっている。
「もしもし、理恵か。すまない。
今日は残業で帰れそうにないんだ。さきに夕食を食べておいてくれ」
「分かったわ。ああ、華怜があなたの声聞きたいって」
後ろに気配がしたと思って振り返ると、桜が立っていた。
「あっ、いや、いまはちょっと手が離せないから、ごめん、あ」
桜はゆうきから携帯電話を取り上げ、通話を切った。
「な、なにするんだ!」
「残業なんて嘘ついた人に言われたくないわ」
ゆうきは言葉に詰まった。
「どうしたの?私に会いに来たんでしょう」

花柄のティーカップに紅茶が注がれていく。
「急に休んで心配したよ。か、風邪を引いたのかい?」
「そんなこと言いに来たわけじゃないでしょ」
「あ、いや、その」
桜は紅茶を啜った。
「今度は完全に女になりたいのよね」
全身がカッと熱くなった。
「ちゃんと言って」
「な、なにをだい?」
「本当の願い」
言うべきことは決まっていた。
けど、それを口にしたら
自分の中の何かが壊れる気がした。
桜はまっすぐにゆうきを見ている。
「ぼ、僕を女にしてください」
桜はやさしく微笑む。
「あなたのために用意したワンピースがあるの」
それは薄いピンクのワンピースだった。
柔らかな手触りは男物の服では絶対にありえないものだった。
「サイズは大丈夫よ。あなた細いから。あと、これも」
と言って女性物の下着が渡された。こちらもピンクだ。
「これも着るのかい?」
「なに言ってるの。下着をつけない女なんているわけないでしょう」
レースで彩られたブラジャーを見ていると、
下半身からむず痒い感じが登ってきた。
「…どこで着替えたら良い?」
「ここで」
「恥ずかしいよ」
「蛹が蝶になる瞬間が見たいの」
ゆうきは意を決して、服を脱ぎ始めた。
ショーツに足を通すと、その肌触りに思わず下半身が反応しそうになる。
ブラジャーのホックを止めるのに戸惑っていると、桜が後ろに周り付けてくれた。
「大丈夫。慣れたら簡単よ」
ワンピースはサイズがピッタリだった。
透き通る空気に身体が軽くなった気がした。
「じゃあ、メイクしてあげる。教えながらやるから、次からは自分でしてね」
桜は化粧品の名前や手順を説明しながら、ゆうきの顔を女に変えていった。
最後にウィッグを被ると、待ち焦がれていた自分に出会えた。
「うん。可愛い。可愛い」
可愛い。男のときには侮蔑の言葉になるのかもしれないが、
いまこの状態ならば最大の褒め言葉だった。
「じゃあ、お出かけしましょうか」
「えっ。それは不味いよ」
ゆうきは室内だけで女装を終わらせるつもりだった。
「どうして?」
「だって恥ずかしいし…」
「大丈夫。誰もあなたを男とは思わないわ」
桜はゆうきにベージュ色のコートを渡した。
「それに靴も用意してあるのよ」

少しヒールの高い靴だった。
いつもの歩幅で歩くとバランスを崩しそうになる。
道にはちらほらと人がいた。
「おろおろしないで。堂々としていたら大丈夫よ」
桜が耳打ちした。
「脇を締めて、あと膝もできるだけ近づける。歩幅は短く、腰から歩くイメージよ」
言うとおりの歩き方をしてみる。
するとまるで自分が本当の女性になったような気がしてきた。
何人かとすれ違ったが、こちらを見てくる人は一人もいなかった。
ゆうきは世界が自分を女性として見ていることが嬉しくてたまらなかった。
一歩踏み出すごとに新しい景色が広がっていった。
しばらくすると桜はある雑居ビルにゆうきを案内した。
そこはスナックやバーが入っているビルだった。
「お店に入るのは不味いよ」
「私の知り合いのお店だから心配ないわ。それに会員制なの」
桜は重そうな黒いドアを開けた。
薄暗い照明でカウンターしかないバーだった。
グラスを拭く初老のバーテンダー、席には浅黒の中年男性がいた。
「こんばんは。マスター、石山さん」
桜は石山と呼ばれた男性の横に座った。
ゆうきは訳も分からずその隣に座る。
「こんばんは。お久しぶりですね」
「ええ、とりあえずビールを二つ」
マスターはビールの用意を始めた。
「桜か。元気にしていたか?」
石山はウィスキーのロックを飲んでいた。
「おかげさまね」
「…そちらの女性は?」
石山はゆうきのほうに視線を投げた。
「ゆうきさんよ。同じ職場なの」
ゆうきは何と言うべきか迷った。
声を出したら男とバレてしまうし、
初めて会った人に自分の秘密を知られるのは不味い。
「安心して。ここでは気にする必要はないのよ」
「…は、はい。こんばんは」
「そんなに緊張しないでください。綺麗ですよ」
石山はグラスを持って、ゆうきの隣に移った。
「マスター、俺が奢るよ。初めまして、石山竜二です」
「ど、どうも」
「本当に美しい」
石山はゆうきの手にそっと触れた。
その瞬間、身体中に電流が走ったような気がした。
白くて細い自分の手に重なるゴツゴツとした男らしい手。
不快な気持ちにはならなかった。
「あらあら、ずいぶんと石山さんに気に入られたみたいね」
「ええ、まあ、はい」
ゆうきはどう答えていいか分からなかった。
人生で初めて向けられた男からの視線に戸惑っていた。
自分はホモではないが、この状態なら男性にチヤホヤされるのは悪い気分ではない。
むしろ女性として見てもらえているのならとても嬉しい。
しかし、それをどう表現していいか分からなかった。
「今日は出会いを祝して乾杯しよう」
出された二つのビールを手に取り、三人は乾杯をした。
一口含みグラスを見ると、口紅の跡が薄くついていた。

石山は強面な外見とは裏腹にお喋りが上手かった。
巧みな話術でゆうきの女性としての魅力を褒めた。
気分を良くしたゆうきは、緊張もあったのかずいぶんと飲み過ぎていた。
恥ずかしかった女性の動作も酔いが回ると、だんだんと馴染んでくる。
「今日が初めての外出なんですね」
「ええ、だから凄い緊張しちゃって。バレちゃわないかドキドキしました」
「まさか。周りの人は気付きませんよ」
「そうだといいんですけど」
「女性としての魅力があれば自然と町に溶け込めます」
「うーん、なんか難しそうです」
「簡単な方法がありますよ」
石山はゆうきの顔を覗き込んできた。
恥ずかしさのあまり目を逸らす。
桜はマスターと話していた。
「男性と付き合うことです」
「えっ、それは…」
「つまりですね、男性を異性と認識することで、
自分の中の男性性を消すことができます。
そして、女性的な行動を起こす動機付けにもなるんですね。
女性が化粧をしたり、お洒落をするのは
やはり男性に注目されたいからでしょう?」
「まぁ、そうですけど」
ゆうきは戸惑っていた。
妻や娘のある自分が女性として男性と付き合うだなんて。
だが、それに心を惹かれていることも事実だった。
「あははは、重く考えないんで良いんですよ。
夜の世界では一種のごっこ遊びみたいなものです」
「遊びですか」
「そうです。いわば役割を演じるんです。変身願望というのか、
普段とつまらない自分とはまったく違う自分になるんですよ。
大人になったからこそ、非日常的な遊びが大事なんです。
ゆうきさんはとても真面目そうな方だから、
息抜きと考えればいいんですよ」
石山の言葉に胸がすっと軽くなった。


「あなた眉毛剃ってるの?」
理恵の一言にネクタイを締める手が止まった。
「まあね。公務員も清潔感が大事だと言われるようになったから
身だしなみは整えようと思ったんだ」
「そう。急に化粧水もつけ始めたから変だとは思ったけど
そういう理由があったのね」
「華怜も化粧したいー」
「はいはい。華怜はもっと大きくなったらいっぱい綺麗になりましょうねー」
ゆうきは動揺を悟られないように急いでスーツを着た。
女装を始めて2ヶ月が過ぎた。
揃えた化粧品や服は桜のマンションに置かせてもらっている。
鏡の中の自分がどんどん綺麗になっていくのに病みつきになり、
ネットや本で色々な技術を勉強していた。
普段から女性の仕草や言葉遣いを研究するようにもなった。
これまで趣味らしい趣味を持たなかったので、
すっかり女装の虜になっていた。
「じゃあいってきます。悪いけど今日も遅くなるよ」



「ずいぶんと手際がよくなったわね」
アイラインを引き終えたところで桜が声を掛けてきた。
「最初はとても苦労したよ。手が震えるからまっすぐ書けなくて」
鏡の中には女性となったゆうきが出てきた。
「今日はどうするの?」
ゆうきは桜に尋ねた
「石山さんと食事よ。美味しいお店を知ってるって」
夜は女装して桜と出かけるのが恒例になりつつあった。
2人で買い物や食事することもあれば、
石山と一緒に遊ぶこともある。
「あら、また新しいスカートを買ったの?」
「うん。ネットで見てて可愛いなと思って…
なんだか最近金遣いが荒くなったよ。はは」
「ゆうきちゃん、今まで欲ってものを感じてこなかったでしょう」
二人っきりのとき桜は女友達のように「ちゃん」付けで呼ぶようになっていた。
「そうだね。まぁ、草食系男子ってやつかな」
「でしょうね。だって、私に全然アプローチしてこないだもん。
最初にあんなことされたら、普通の男は期待するわよ」
ゆうきは初めてこの場所に来たことを思い出した。
倒錯的な快楽。差し出された指。栗の花の匂い。
「あれは…」
「次はお口でしてあげましょうか。それとも…」
「やめてくれ。僕はそんなつもりはないよ!」
期待してないわけではないが、
それよりも自分が綺麗になるほうが大事だった。
「うふふ。ごめんなさい」

すれ違った30代くらいの女性がこちらを見たような気がした。
駐車してある石山の車に乗り込む。
「美味しかった。石山さん、顔に似合わずお洒落なお店知ってるのね」
「おいおい、顔に似合わずは余計だよ」
石山は苦笑しながら、エンジンをかけた。
助手席に桜が座り、後ろゆうきがに座った。
「どうしたの?ゆうきちゃん」
「さっきすれ違った女の人が気づいたのかなと思って」
「女は普段から自分以外の女の価値を計ってるから、
パスするのはけっこう難しいわよ」
「なんだか悔しい」
「気にすることないよ。ゆうきは充分に綺麗だ」
石山はバックミラー越しにゆうきを見た。
「うふふ、石山さんにはわからないわよ。
女のプライドみたいなものよね。ねえ、ゆうきちゃん?」
「え、うん。そうね」
「そういうもんかなぁ」
「まぁ、私が近くにいたのが不味いわね。どれだけゆうきちゃんが綺麗でも
体つきが違うから。本当の女の隣にいたらどうしても違いが目立つわ」
ゆうきは胸の奥が締め付けられた。
化粧や服だけの女装には限界があることを薄々と気づいていたのだ。
「逆に石山さんと並んで歩いたら、かなりパス度が上がるかもよ。
ゴツいし背も高いから、相対的にゆうきちゃんが小さく見えるわ。
でも、美女と野獣だから返って目立つかも」
「おいおい、野獣だなんて。俺は紳士だよ」
「ごめんなさい。冗談は抜きにしてもカップルとして歩くのは良い経験になると思うの。
この先の公園でちょっと散歩してみたら。私は車の中で待ってるし」
「ゆうき、どうする?」
「構いませんけど…」
石山は車をしばらく走らせ、公園の駐車場に入っていった。
外へ出ると冷たい夜風が頬を撫でた。
「じゃあ、軽く一周してくるよ。行こうか、ゆうき」
しんとした静寂をヒールの音がかき消していく。
「せっかく恋人ごっこするんだから、もっと身体を寄せてきなよ」
「え、でも…」
石山はゆうきを強引に引き寄せ、腕を絡ましてきた。
されるがままに体重を預け、再び歩き始める。
向こうから若い男女のカップルが近づいてきた。
体を密着させ、何かを囁き合っている。
ゆうきに緊張が走った。
幸いにカップルはこちらを見向きもせず通り過ぎていった。
「緊張したかい?」
「はい…」
「俺の腕をぎゅっと握ってくるからね。とっても可愛かったよ」
ゆうきは顔を赤くして、石山から離れた。
「ご、ごめんなさい」
無意識に石山のことを頼っていた。
太くて硬い腕の感触が残っている。
「なにを恥ずかしがってるんだい?」
石山は微笑みながら腕を差し出してきた。
自分は動揺しているのか。
これは恋人ごっこなのだ。
遊びにすぎないのに、胸の高鳴りは収まらない。
ゆうきは石山の手を恐る恐ると掴む。
その瞬間にぐっと引き寄せられ、抱きしめられた。
訳も分からないまま顔を上げると、石山がそっと口づけをした。


「風間くん。風間くん」
「は、はい。すいません。なんでしょうか」
急いで課長の席に駆け寄る。
「珍しいなボーっとして。いや、議員の奴らが財政検討会を開きたいとか言ってな。
知事と一緒に出なけりゃいかんことになった。来月なんだが、君も一緒に来て欲しいんだ」
「私がですか?」
「細かい部分まで打ち合わせするからね。風間くんはその辺り把握してるだろ」
「ええ、まぁ」
「前に作ってもらった予算資料。あれけっこう突っ込まれると思うから、
今から詰めなおしておいてくれ」
「詰めなおしですか?」
通常業務に新しい仕事が加わると、かなりの時間を要することになる。
女装の時間が減ってしまう。
「家庭も大事なのはわかるがね。君、男は仕事だよ。仕事!」
不服な様子のゆうきを見て、課長は檄を飛ばした。
席に戻ると、隣席の桜が意味ありげに微笑んできた。
もう女装は潮時なのかもしれない。
このまま続けた先にあるものがぼんやりと見えている。
自分が求めるのは服を着たり、化粧をするだけの女装ではない。
心を女にしたいと思ってしまったのだ。
それをあの夜の口づけが気づかせてくれた。
石山はそれ以上のことを求めなかった。
「2人だけの秘密だよ」
といって車に戻った。
唇の感触はいまもはっきりと覚えている。
そして、自分がそれ以上のことを求めたことも。
記憶は磁石のように頭に張り付いて離れない。
だからこそ終わりにしなければいけないのかもしれない。

日が暮れ始めた頃、県庁内に終業のチャイムが鳴り響いた。
「お疲れ様です。風間さん」
「うん、ちょっと話があるから一緒に帰ろう」
ゆうきは帰り支度を始めた。
課長の視線を背中に感じていたが、無視して桜と職場を出た。
「うちに寄ってく?」
県庁から離れた瞬間に桜は砕けた口調になった。
「いや、もう辞めようと思うんだ」
「仕事のせい?」
「ああ、これから忙しくなる。それに家庭のこともある。
やっぱりこういうことはどこかで区切りをつけないとね」
「……ちょっと、そこの喫茶店入らない?」
「ああ、いいけど」
喫茶店は「ソワラ」という名前だった。
ボサノバ調の音楽とコーヒーの香りが漂っている。
隅の一角ではケースに色鮮やかケーキや菓子が並んでいた。
桜はその喫茶店の常連のようで、奥の席を案内された。
「前のシュークリームはここで買ったのよ」
ウェイトレスが注文を取りに来た。
「コーヒーで。ゆうきちゃんは?」
「…僕もコーヒーを」
男姿でちゃん付けで呼ばれるのは恥ずかしかった。
「……あのシュークリームは美味しかったから買って帰ろうかな」
「女の人は甘い物が大好きだから、奥さんと娘さん、喜ぶね」
その言葉はどこかに棘があるような気がした。
コーヒーが運ばれてきた。ゆうきはミルクと砂糖を入れたが、
桜はブラックのままで一口啜った。
「この席は外から死角になってるし、会話も周りには聞こえないわ」
「…なにが言いたいんだ。僕はただやめるってだけだよ」
「怖くなったんでしょう」
「…ああ、そうさ。怖くなったよ」
「ゆうきちゃん変わったね。前なら必死で否定したと思うよ」
コーヒーの僅かな苦味が舌にいつまでも張り付いた。
「君の言うとおり心には秘めた願望がある。
でも、僕には家庭がある。夫であり、父だ。
男として守らなければいけないものがあるんだ」
「正論ね。どこまでも正しいわ」
「悪い。君とは楽しい時間を過ごさせてもらったよ」
桜は少し口角を上げて息を漏らした。
それは微笑だったが、笑っているようには見えなかった。
「まるで不倫カップルの別れ話ね。ねえ、どうせなら最後にもう一度だけ変身しない?
石山さんも呼んで、うちでホームパーティーでもしましょう」
最後。ゆうきは区切りを付ける意味でも自分には必要なのかもしれないと思った。
「わかった。それで最後にしよう」

「ただいま」
「わー、ぱぱー、おかえりー」
華怜が弾んだボールのようにぶつかってくる。
「あなた早かったのね。あれ、おみやげ?」
「美味しいシュークリームを買ってきたよ」
「えっ!しゅーくりーむ?しゅーくりーむ?」
「華怜。シュークリームはご飯のあとよ。
お風呂湧いてるから入る?」
「ああ」
ゆうきは久しぶりに華怜をお風呂に入れて、
家族揃って夕食を食べた。
心のどこかに引っかかるものがあったが、
自分はこれでいいんだと思うようにした。
(そうあの自分はきっと夢だったんだ)
夜も更けて、華怜を寝かしつけた。
「ねえ、あなた。明日は早いの?」
「いつも通りだけど」
寝室。理恵は思わせぶりにこちらを見てくる。
「そろそろ二人目作らない?」
背筋が凍った。
子どもが欲しくないわけではないが
華怜が産まれたことで子育てに
どれだけの金と労力が掛かるのが
充分に知ってしまった。
「あ、ああ」
(いや違う。もっと別に理由がある)
「本当に大丈夫?あなたこのところ帰りが遅いから疲れてない?」
「い、いや。大丈夫だよ」
ゆうきは理恵を引き寄せた。
頭の中で石山の腕の感触が蘇った。
抱き合うと理恵の柔らか感触が伝わってくる。
同時に対照的な石山の硬い筋肉を思い出す。
唇を合わせると、理恵は舌を絡ませてくる。
石山とのキスが頭を駆け抜けた。
「どうしたの?」
「なんでもない」
ゆうきは強引に理恵を押し倒した。
記憶を振り払うように体を求めた。
髪から漂うシャンプーの香り、
重みのある胸の膨らみ、
熟れて黒々とした花弁、
すべてに吐き気を感じた。
たまらずに体を離す。
「ご、ごめん。やっぱり疲れてるみたいだ」
ゆうきは急いで自分のベッドに入り、布団を被った。
「あなた……」
理恵は唇を噛み締め、じっとその様子を見ていた。


テーブルにはオードブルが並んでいた。
「これ全部自分で用意したの?」
「まさか、全部デリバリーよ」
今日は桜のマンションで最後の女装をする予定になっていた。
「ゆうきちゃん。これ着て」
渡されたのはワインレッドのドレス。
「こ、こんなの着るの?」
「似合うと思うよ。どうせ家の中だし恥ずかしがらないの。あとこれヌーブラ」
胸元が大きく開いて、スカートの丈は膝までだった。
「メイクもちゃんとこれに合わせなさいよ」
「どういう意味?」
「大人っぽく仕上げるの」
言われるがまま、いや最初からそのつもりだった。
せっかく最後の女装なんだからうんと冒険しよう。
ゆうきは心にそう決めていたのだ。
化粧が終わり、ドレスを着る。
同時に石山が尋ねてきた。
「おお、綺麗だね。これお祝いの花だよ」
石山と会うのは少し恥ずかしかったが、
綺麗だよと言われると心が踊った。
「嬉しい。こんな綺麗なお花を貰ったの初めて」
男のときには何も思わなかった贈り物の花だが、
いまはその鮮やかな色や香りに幸せな気持ちになった。
「さぁ、食べよう。上物のワインも揃えたのよ」
三人はテーブルについた。桜がワインを開ける。
血のように赤いワインが波打ちながらグラスを満たしていく。
「じゃあ乾杯」
ゆうきが口に含むとほのかな酸味のあとに濃厚な甘さが広がっていった。
喉を通りすぎてもその余韻はいつまでも残っていた。


意識がゆらりと浮かび上がってきた。
心と身体がバラバラになったようで、天井のシャンデリアが揺れている。
背中の感触からベッドに寝かされていることが分かった。
記憶を辿る。
美味しいワインをつい飲み過ぎたのか。
最後の女装だから、珍しく羽目をはずしてしまったのか。
薄ぼんやりした映像が断片的に頭を通り過ぎていく。
「気がついた?」
視界の隅に桜がいた。全裸だった。
「な、なにをした」
口は異様なまでに乾いていた。
「ゆうきは飲み過ぎたんだよ」
「い、石山さん」
石山も全裸だった。
筋肉の一つ一つが刻み込まれているような立派な体格だった。
股間の獣はいまは静かに横たわっている。
桜はそこに口を合わせた。ピンク色の舌が赤黒い皮膚にぶつかる。
それはフェラチオだった。
女が男を悦ばすために行う行為。
(あそこにいるのは…桜…)
石山に奉仕する桜がなぜか自分に見えてきた。
「ゆうきちゃん、舐めたい?」
拒否をしたつもりが、なぜだか頷いていた。
目の前に差し出される石山の欲望。
自分のとは比べ物にならない大きさと形をしていた。
これを咥えたら、後戻りできなくなる。
頭にはそんな声が鳴り響く。
少しだけ首を動かし、口に含んだ。
小便の匂いがしたが、不思議と嫌悪感はなかった。
むしろ強い力を感じることが出来て、安心感があった。
舌を丁寧に這わせていく。
イケないことだと分かっていても、
止めることができない。
「ゆうきはずいぶんとうまいな」
「本当初めてとは思えない」
石山はゆうきの口から欲望を引き抜くと、
その横に寝っ転がり、身体を密着させて、全身をペッティングしてきた。
腕、脇、首、背中、胸、足。
秘部以外のあらゆるところに舌を混ぜていく。
感じるたびに赤いドレスが揺れ、悩ましげな声を出した。
石山に舐められるたび肉体の記憶は塗り替えられていく。
男の感情が砂時計のように堕ちていき、
女の情感を積もらせていった。
後ろのほうでヒヤリと冷たい感触があった。
桜が菊穴の周りにローションを塗っていた。
「しっかりと解さないとね」
細い指が一本入ってくる。
お腹に鈍痛が走る。快楽と重なって、意識がだんだんと覚醒していく。
「次は二本」
初めての感覚だった。
身体の中で自分の意思の及ばないものが動き回っている。
少し違和感があったが、馴染んでくるとするすると指を吸い込んだ。
桜の前に石山が立った。
「これは兜合わせっていうんだ」
児戯程度の硬さしか持たない秘棒と凶器のように怒張した肉棒が重なりあう。
蕩けるような気持ちよさが伝わってくる。
石山の肉欲を自らの性器で感じれること喜びを感じていると同時に
男同士でこんなことはという後ろめたさもあった。
「三本」
指が入ったとき、その気持ちはどこかに消えた。
湧き上がる鈍痛の中に毛色の違う感覚が混ざりこんだ。
「ゆうき、お前まだ迷っているだろう。もうここまで来たら引き返せないぜ」
「…はい。石山さん」
理恵や華怜の顔が頭によぎった。同時にあのとき感じた不快感もやってくる。
(あんな気持ち悪いことはもうしたくない)
指が引き抜かれた。重なりあっていた肉棒がゆうきの穴に当てられた。
くる。確信した。
まるで飛び降り自殺をする一歩を踏み出す気持ちだった。
「いくぞ」
短い言葉のあと、確かな圧迫感が穴を塞ぎ、ゆっくりと中に侵入してくる。
とてもやさしい痛みだった。
女の指とは比べ物にならない満足感だった。
すべてを押しこまれたとき、ゆうきの秘棒からは蜜がどんどん溢れ出ていた。
石山はゆっくりと腰を動かし始める。
ゆうきの反応を見ながら、角度や力を微妙に変えた。
「ん…んぅ、あはぁ、、」
声に艶が混じり始める。
「ゆうきちゃん、ついに処女喪失だね」
桜の言葉に重大な犯罪を犯した気持ちになった。
「かなりキツイ穴だが、しっかりと咥えてきやがる。なかなかの名器だぜ」
「良かったね。名器だって」
息が詰まる。
ゆうきには答える余裕はなかった。
石山の腰の動きが激しくなっていく。
その手はいつのまにか秘棒に添えられていた。
ピストンと連動した扱きが始まった。
我慢に我慢を重ねていたゆうきはあっという間にミルクを吹き出した。
同時に中に差し込まれている肉棒をぎゅっぎゅっと締め付け、
石山はそのタイミングで男の精をたっぷりと吐き出した。



「朝帰りするなら一言言ってよ」
リビングに理恵が座っていた。
じっとテーブルを見つめて、ゆうきと目を合わせようとしない。
「悪い。つい飲み過ぎて…」
向かい側に座るとき、お尻の辺りが少し痛んだ。
さっきまで男性と肌を合わせていた自分が
こうして妻と対峙しているのはあまり現実感がなかった。
しかし、体の残る快楽は確かに本物だった。
その状態で理恵を前にすると心が痛む。
「いま起きたのかい?」
理恵の格好はパジャマではなかった。
目の下には薄くクマが出来ている。
「ええ」
ずっと俯いたままだった。
「コーヒーでも淹れようか」
「ふざけないで!あなた浮気してるでしょ!」
理恵は急にテーブルを叩き、大声を出した。
目は赤く充血して、涙を浮かべている。
「な、なにを言い出すんだ」
「このところずっと帰りが遅いじゃない。
しかも、いつも化粧品の匂いがするの!!
女と会ってるんでしょ!!」
「違う。違うよ。勘違いだ」
「うそ、うそ。もう私のこと好きじゃないんでしょ!
だから、抱いてくれなかったんでしょ!」
「そ、それは…それは…」
何も言い返すことが出来なかった。
「子どもが出来たから魅力がなくなった?
だから、他所で女を作ったの?
私、あなたがそんな人だなんて思わなかった」
理恵の一言に何かが弾けた。
「お前に何が分かるんだ!僕がどういう人間が
お前は知ろうともしなかったじゃないか!!」
「ママ…パパ…」
パジャマ姿の華怜が怯えた様子でこちらを見ている。
理恵は立ち上がり、華怜を子ども部屋へ連れて行った。
ゆうきはその後姿を見ることしか出来なかった。



「どうしたの急に?」
ゆうきは桜をソワラに呼び出していた。
「妻と喧嘩してしまったんだ」
「そう?」
桜は何事もないようにショートケーキを頬張った。
「ずいぶんと他人事だな」
「だって他人でしょ。喧嘩ごときで私を呼んだの?」
「喧嘩ごときって…」
「夫婦喧嘩なんて世界中で毎秒起こってるわよ」
「僕達にとっては初めてのことなんだ」
「じゃあ、それまで感情をぶつけてこなかったのね」
桜はフォークで苺を突き刺した。
「ねぇ、苺は好き?」
「いまはそんな話はしてないだろ」
「私は大好き」
赤い苺が口の中に入っていく。
「でも、苺を10個、20個と食べていたら、きっと飽きちゃうわ」
「当たり前だろ」
「欲望にはすべて限界がある。
特に強烈な快楽が伴う欲望にはストッパーが働くようになっているの。例えば性欲とか」
ゆうきの体の奥底で何かが疼いた。
「男の人は射精すると気分が冷めちゃうでしょ?女には妊娠がある。
無限には性の快楽を味わうことができない。けど、あなたはそれが出来る。
男でありながら、体は雌になってしまったのよ」
「そんなことあるわけ…」
「ここに来てまだ否定するの?昨日のあの快楽を一緒に否定できる?」
口に残るしょっぱさ、硬い筋肉の肌触り、挿れられる感触。
「いままだ入口に立っているの。ここから進むか戻るかはあなた次第」


ゆうきは天井をじっと見ていた。
横で絡み合う桜と石山は淫欲に再び火を付けたが、
同時にまったく別の感情も呼び起こした。
嫉妬だった。
自分にはない膨らみ、自分にはない穴、自分にはない肉、
それらに憎しみさえ感じ始めていた。
さっきのトコロテンの瞬間。すべての気持ちが石山にのみ向けられていた。
桜は完全に意識の外にあった。
とても心地よくて、満たされた感覚だった。
石山に抱かれるたびに最高の快楽が更新されていく。
まるでパズルのピースをはめ込んでいくように
自分が女になっていく感覚があった。
「あん、ああん。ん、あん」
石山の上で弾む桜の肉体には悪魔的な妖艶さがあったが、
ゆうきはそれにまったく何の興味も起きなかった。
(早く終わらせて。次は私の番)
パズルの完成まではあと僅かだった。


「風間!風間!!」
課長の怒鳴り声が飛んだ。
「会合は来週だぞ。まだ資料が出来てないってどういうつもりだ」
「はい、すいません」
「いっつも早く帰って。やる気があるのか」
「はい、すいません」
「時間ないのわかってるのか!」
「はい、すいません」
虚ろな目で同じことを繰り返すゆうきに
課長は得体のしれない不気味さを覚えた。
「と、とりあえず他の者にも手伝ってもらえ」
「はい、すいません」
席に戻ると、誰もゆうきと目を合わせようとしなかった。
桜は欠席だった。
ただボーっとパソコンに向かう。
意味なくソフトを立ち上げては消してを繰り返す。
数日前は心配して声を掛けてきた同僚もいたが、
いまでは誰もがゆうきのことを無視していた。
昼になると、真島がやってきた。
「なんだよ。今日も桜さん休みかよ。このところ毎日じゃねえか」
ゆうきはパソコンを閉じた。鏡で自分の顔を見て、髪の毛を治した。
「おい風間。どうした?」
「うん。なんでもないの。それよりお昼行くんでしょ。一緒に食べよ」
「お、おお。そうだな…」


「もう食べたくない」
華怜は食事を半分以上残していた。
「まだ残ってるじゃない。今日は華怜の大好きなハンバーグよ」
「いや、嫌い。食べたくない」
「ワガママ言わないの。あとでお腹空いたって言われても知らないよ」
「いや!いや!」
華怜はハンバーグの皿を放り投げた。
肉の塊やソースが宙を舞って、床に落ちた。
「なんてことするの!!」
理恵の大声に華怜は鳴き声で返した。
大きな瞳からポロポロと涙が溢れている。
ゆうきはハンバーグを口に入れ咀嚼し、
ゆっくりと飲み込んだ。
理恵はゆうきを見ようとはしない。
ゆうきは理恵と華怜を見ていたが、
それはテレビを見ているような感覚だった。
「ごちそうさま」
ゆうきは食後のお茶を啜った。
華怜の鳴き声は止まる様子はなかった。



石山の体温を感じているだけで満たされた気持ちになる。
窓からの差し込む朝日がベッドの上の2人を包み込む。
ホテルの一室。一晩中愛を確かめ合った。
「そういえば桜を抜きにして会うのは初めてだったな」
「……そうね。でも、このほうがいい。
あなたが他の女を抱いてるの見るのはイヤ」
「意外だな。てっきりお前は桜のことが好きだと思ったんだが」
「やめてよ。なんで女を好きにならないといけないの」
ゆうきは石山に背を向けた。
「はは、ごめんごめん」
石山はゆうきの上に覆いかぶさり、唇を重ねてきた。
舌をねっとりと巻きつけ、お互いの唾液を味わう。
「…石山さんはどうなの?桜のこと好きなの?」
「あれはお前、ただの体だけの付き合いさ。
第一俺は桜のことを何も知らない。どこで生まれたとか、本当の年齢とかな。
あいつは自分に関することは絶対にしゃべらない女なんだ」
「私も体だけの付き合いなの?」
「お前は…その…愛してるよ。確かに最初はその目的だったけど、
どんどん綺麗になるし、俺に尽くしてくれるから。…本当に好きになったというかな」
石山は顔を赤くしながら答えた。
ゆうきは嬉しくなって思わず石山の胸に飛び込んだ。
「私も大好き」
「でも、お前には……」
「いいの。もう全部わかったの。本当の私自身が」
石山の分厚い身体の上にゆうきの白くて細い躰が重なりあう。
「…ゆうき」
「私、石山さんのために女になるわ。もっと綺麗になって、うんと愛してもらいたいの」
石山は言葉の変わりに強く抱きしめた。
力強さに包まれながら、ゆうきは女の幸せをしっかりと味わっていた。





山内華怜はじっとテーブルを見ていた。
扉がノックされ、一人の女性が入ってくる。
長い黒髪が印象的で、華怜が今まで見た保護観察官の中では一番若かった。
女の自分が見とれるほどに美しい顔立ちをしている。
「初めまして。今日、お話をさせていただく四宮桜といいます。よろしくね」
「…ちぃーす」
再びテーブルに視線を落とした。
桜はファイルから資料を取り出すと、声を上げて読みだした。
「山内華怜、16歳。補導歴あり。万引き、喧嘩と、うーん、いろいろやってるわね」
「……別にいいじゃん」
「元気があっていいわ。でも、今回の事件は不味かったわね。
大人の男を騙して、お金を盗むなんて…」
華怜は出会い系で知り合った複数の男から金を騙しとっていた。
「少年院でもなんでもいれたら」
「私達はね、あなたが更生できると思ってるから、保護観察の処分を下しているのよ」
「そっちの勝手じゃん」
「あなたが騙した男の人、みんな40代後半ね。ちょうどお父さんくらいの年齢かしら」
華怜は視線を床に落とした。
「幼い頃に離婚してるのね。元の苗字は風間…」
「うっせーな。それがなんだよ。どうだっていいだろ」
顔を上げると桜はまっすぐにこちらを見ていた。
整った顔のせいか非人間的な印象すら覚える。
「右が僅かに震えてるね。そっち側に感情が出やすいんだ」
華怜は思わず右頬を触った。
「ねぇ、お父さんに会いたい?」
黒い瞳に吸い込まれそうになる。
「しらねえよ。顔だって覚えてないし」
「娘は父親に似るらしいから、美形のお父さんだったかもね」
「意味わかんない。ある日、突然いなくなったやつだよ。
私とお母さんほっぽり出してさ。そのせいでどれだけ苦労したか」
「どうしてお父さんがいなくなったと思う?」
「どうせ外に女でも作ったんでしょ。身勝手な男だよ」
「ねえ、華怜ちゃん」
桜は華怜の横に立ち、その手をやさしく握った。
「人はみんな偽りの自分を演じているの。でも、何かがキッカケで
本当の自分を知ってしまったら、もうそれは無視することはできないの。
あなたも強がってるけど、それはあなた自身じゃないでしょ」
華怜はすぐにでも手を払いたがったが、その温もりに荒れた心が
ゆっくりと解きほぐされていく。
「大丈夫。怖がらないで。私の言うとおりにして。
そうすればあなたは本当の自分に出会えるから」


END
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コメント

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2016/05/01 (Sun) 19:47 | # | | Edit
No title

のぞみさん、最高のプレゼントをありがとう。
こんなに気持ちを乱されたのは生まれて初めてです。

なんでこの人はこんない文章がうまいんだろう。
なんでこの人はこんなに私の気持ちがわかるんだろう。

毎晩自分に置き換えて読んでます。

これからも珠玉の作品を紡ぎ続けて私たちの気持ちをかき乱し続けてください。

2016/05/07 (Sat) 14:56 | ファン #.1Yf4bn. | URL | Edit
No title

ありがとうございます!
熱いお気持ちを確かに受け取りました^^
これからも頑張って書いていきたいと思います。

2016/05/07 (Sat) 21:16 | のぞみ@管理人 #- | URL | Edit

初めてこのサイトを見ました。

男が女に変わっていく心情描写に本当に感動致しました。
特に「やめてよ、なんで女を好きにならなきゃいけないの?」の件り。。

おこがましいですが、このシリーズの続編をいつか読んでみたいです。。

2016/08/15 (Mon) 23:53 | #- | URL | Edit
No title

コメントありがとうございます。

続編はちょっと難しいかもしれませんが、同じようなテイストのお話は今後も書いてきますので、そちらをよろしくお願いします。

2016/08/16 (Tue) 07:47 | のぞみ@管理人 #- | URL | Edit

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